食事をしている時に人が通りかかれば、誰でもが現地語で「一緒に食べましょう!」と声をかけるのが習わしになっている。そういう点では、心に余裕があるせいか人々はたいへんおっとりしている。私が朝九時にジープ島に出かける時に木の下で見かけた人たちが夕方五時に戻って時に未だいたりする。男も女も陽気で話好きである。仕事をしない人たちがほとんどで、毎日休暇を過ごしているようなものだから、ある意味今の日本とは対極の場所と言える。
私がこちらで仕事を始めた頃、ダイブショップの前でスタッフを集めて、「これから日本のダイバーたちがたくさん来るようになるから、みんな毎日一生懸命働きましょう!」と声をかけたら、いきなり「なんで?何故?」という奇妙な答えが返ってきた。正直これには拍子抜けして返す言葉がなかった。
つまり、全く日本の常識は通用しないのである。また現地人の言う事ももっともなわけで、食べるものは豊富にあり、仕事をしてない人がほとんどであれば、そこで「一生懸命働く」という言葉はある意味「死語」に等しいという事になる。
その時私は「ここで本当にやっていけるのかな」という一抹の不安を覚えた。通常、海外で仕事を始める際にはいくつかの鉄則のようなものがあるらしく、その中でも「その土地にチャイニーズレストランがあるかどうかを確認する事だ」と何かの本に書かれてあったような気がする。
確かに以前世界のあちこちに出かけた時にも、日本料理屋や韓国料理屋はなくてもどんなどんな所でもチャーニーズレストランだけはあった。しかしこの島にはないのである。
一度アフリカの脇にあるセイシェル諸島にダイビングに出かけたことがある。本島から更に小さな離島に移動して、一体どんなホテルに泊まらせられるんだろうと不安に思いながら到着したら、白く小奇麗なホテルに案内されてほっとしたものである。ところが夕食に出てきたものをおもむろに頬張った瞬間吐き出しそうになった。味もコクもないのである。正確にいうと、岩塩とペッパーのようなものでの味付けだけなのである。とても食べられたものじゃないと思いフロントに行って、マネージャーに「ムッシュ、この島にはチャイニーズレストランはあるのかね?」と聞いたら、「はい、島のはずれに一軒あります。」とフランス語で返ってきた。私はにんまりしながら「じゃあ明日から夕方五時にタクシーを一台毎日呼んでおいて」と頼んだ。翌日ダイビングに出かけ、真っ白なビーチに満足してホテルに戻り、鼻歌交じりにシャワーを浴びて、いそいそと島のはずれまで出かけた。すると夕陽の赤く染まる中に小さな看板が見え「CHINESE RESTAURANT」と英語で書かれてある。店に入ると人の良さそうなニコニコした老夫婦がいて、いろんな話をしながらワンタンスープ、チャーハン、焼きそば、シュウマイなどなどたらふく食べることができた。私の胃袋は大満足であったのを覚えている。
この何処にでもあるはずのチャイニーズレストランが、このトラックにはないのだから「こりゃ身を引き締めてかからないとえらい目に合うぞ!」と戒められたような気がした。
しかし、おおらかで、人懐っこく、屈託のない現地人を見ていると「まぁ、いずれなるようになるさ」というような気にさせられるから実に不思議である。私が住んでいるブルーラグーンリゾートはこの国一番の大きさの南国のリゾートホテルであるわけだが、ここのGM(ゼネラルマネージャー)と言う男は頭が坊主で、夜になると私の部屋から見える海で頻繁に投網をやってる様子を見かける。通常、南国のホテルのGMと言えば、白いパンツにアロハなんかを着てこざっぱりとした恰好をしていると思っていたんだが、ここのホテルのGMは夜になると漁師に変貌している。
ある意味、「自然と人間」いや「自然とホテル」が共存していてうまく調和していると言えるのかもしれない。ういった、おおらかさや屈託のなさと言うのは、今やこの地球から消え去ろうとしているものなんじゃないかという気がする。
日本からこれだけ近いミクロネシアで、昔ながらの生活をしながら人間と自然とがうまく調和しているという点では、国連辺りが一度しっかり調査して、全世界に紹介してもいいんじゃないかと思ったりもする。私が初めて来た三十年前とまずほとんど変わっていないこの島々を見ていると、新しいものを寄せ付けない現地人の頑固さや徹底ぶりを見せつけられる。しかしその一方で正直ほっとした気持ちにならずにはいられない。ある意味、偉大な母なる自然から受けた「自然教育」という事になるのだろうか。やはり、本当に良いものと言うのは、何処までも頑固に守り続けなければならない。日本は変わり過ぎた・・
ときたま私は浦島太郎になってしまったような感覚を覚える。