写真館に木村氏・堀川氏が登場です!

深夜の独り言

 今の日本と言うのは、実に物と情報が多すぎるんだな。これは、ひたすら便利さを求めてとことんやったわけなんだけれども、どうも行き過ぎてしまってついていけない人というのもかなりいるんじゃないかと思ったりもする。
この物と情報の過多というのは、ある意味生活をつまらなくしてしまう傾向があるような気もする。便利さの中で埋もれて生活していると、便利が当たり前になってしまう。そうすると不便さを知らないぶんだけ忍耐できなくなる、感謝できなくなる、そして謙虚でいられなくなる。
この「忍耐」「感謝」「謙虚」と言うのは、ある意味人間の尊厳のようなものである。これが出来ないと毎日不平不満ばかり言い出す。すると人が離れる。そして孤独になる。
こう考えると、情報過多による不幸というものがあるように思えてくる。「無知」という知らな過ぎた不幸というものも当然あるわけなんだけれども、知り過ぎた不幸というのもあるのである。
「東京」という大都会がある。そして、「ジープ島」という究極の自然の島がある。その2つは全く違う性質のものであるわけで、東京はすべての物がある所であり、ジープ島は本当になにもない所である。
つまり、都会にあるものはすべてなく、都会にないものがすべてあるという事になる。ある人がこのジープ島で毎日バケツ一杯のシャワー、男女を分けただけの雑魚寝、或は星を見ながらの外寝の集団生活、そして毎日の食事がサバ缶の生活を3か月続けたとしよう。ようやく日本に帰れる事となり東京に到着した瞬間、急に腹が減って来て、いきなり立ち食いそば屋に飛びこんで、温かいそばにかき揚げ、ちくわ、コロッケなど乗っけて食べたとすると、もうこれは旨くて旨くて涙を流しながら食べるに違いない。
それから、ホテルにチェックインしてシャワーを浴びたら、そのふんだんに出て来るお湯をどれだけ有難く思う事か。それから疲れ果てた体を休めようとふかふかのダブルベッドに潜りこんだら、それはもう天国なんだと思う。この感じ方が大事だと思うのである。ジープ島で忍耐した事が数か月後に感謝に変り、そしていつしか謙虚になろうとする自分が見出せるわけだ。
時には歩く道を変える必要がある。時にはどん底的な生活を意図的に味わっておく必要がある。それは物事の本質の価値をより明確にし、感謝している自分を見出す為でもある。
すると心に余裕ができ、人にも優しくなれるのである。
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