写真館に木村氏・堀川氏が登場です!

パーフェクトストーム

 2015年3月28日(土)、この日はたいへん穏やかな一日でジープ島で仕事を終え、私は明るい気分で本島のホテルに戻った。
シャワーを浴びた後、外に出たら夕陽が夏島側に反射して、薄いピンクの綺麗な夕焼けだった。煙草を吸いながら外を眺めていたら、ホテルのGM(ゼネラルマネージャー)のナワンが通りかかって「明日は大雨になるらしいよ」と言って去って行った。私は気になったので、すぐにパソコンでNOAAの衛星写真をチェックしてみた。ポナペ方向から大きな雲の塊が近づいているが、まだ渦を巻いている様子もなかったので、おそらくトロピカルストームくらいだろうと考えた。北緯8度のトラック環礁には10年に1度くらいしか台風は来ない。
しかし嫌な予感がした私はアッピン(ブルーラグーンのオーナー)を呼び、その画像を見ながら打ち合わせをした。「雲自体は大きいが、まだ渦を巻いていないので問題ないだろう」時間は既に17時30分だったので、「下手にボートを出しても危険だ」という事になり「問題があるようであれば、明日の朝早めにゲストとスタッフをホテルに戻そう」という結論に至って別れた。
その夜、私は日本から届いた映画を観た。その題名は「パーフェクトストーム」というもので、完璧なるストームと戦って、勇敢な男たちが無事生還するようなストーリーだろうと思って観ていたのだが、とんでもない勘違いであった。不漁が続くある港町の話で、船長(ジョージ・クルーニー)のいう事を聞いて海に出た漁師たちがパーフェクトストームに飲まれて、全員亡くなってしまうという全く希望のない映画だったのだ。
深夜、映画に疲れ果てた私は天候が気になったので、コーヒーを片手に再度NOAAの衛星写真をチェックしてみた。すると少しだけ一番大きな雲が渦を巻き始めているように見えた。そして、その大きな雲の周りの更に2つの雲が近づいているのがわかった。明日は早めに動いた方が良さそうだと思いながら深夜1時過ぎに眠りに就いた。
翌朝6時頃、部屋のドアの揺れる音で目が覚めた。私はすぐに部屋の外に飛び出し外を確かめた。間違いなく風が昨日より強くなっている。
パソコンを開き、NOAAの衛星写真を確認しようとしたがWIFIの調子が悪くなかなか衛星写真を見られない。私はダイブショップに行き、今ホテルに何人のスタッフがいて、夏島からのスタッフは何時に来るかを確認した。
部屋に戻りふたたびパソコンを開いた瞬間、私は呆然としてしまった。拡大したNOAAの衛星写真には、既に渦を巻き始め「目」ができはじめている台風の写真とその脇に近づいている2つの雨雲が写っていたのだ。
この2つの雨雲が、もし台風と重なったらとんでもない事になる。

まさに「パーフェクトストームだ!」

すぐにダイブショップのGMのナワンにスタッフを全員たたき起こして待機するように伝えた。私は危険だから今のうちにジープ島にいる4人のゲストとスタッフをホテルに戻そうと考えた。「今なら大丈夫だ、早く戻そう」という事になり、ジープ島の5人のゲストとスタッフのあわせて7人、そしてフェノム島のスタッフ2人合計9名をホテルに戻す事になった。
ビッグボートは大波が立ったら島に近づけないので、上陸用にはスモールボートを用意して、そこから移動するのはビッグボートいう事になり、スモールボートにはステンション、アリプソン(ステンションの息子)、ジョンキの3人が乗り込み、ビッグボートにはレントン、ジョアンセン、カッソンの3名が乗り込む事になった。この6人にどういう経路で行くかを説明して、波が高くなった場合は必ず冬島の影に逃げ来むように指示した。そして絶対に行動は2艘いっしょに行うように強く指示をした。
まだ風はそれほど強くはなかった。しかし2艘のボートが出て40分くらい経過したころから急に風が強くなりはじめ、時間が経つにつれてどんどん強くなっていった。その間に何度か無線で連絡を取ろうとしたが反応がない。
既に時計は午前11時をまわっていた。私とアッピンは食事もせずにダイブショップの中でただひたすら無線を待ち続けた。
風は更に強さを増し、もはや完全な台風になっていた。大風はたくさんの椰子の木をなぎ倒し、西からの風を避けて避難していたオデッセイ、サイレーン、パッセンジャーシップという3つの大型のクルーザーはすべて大波に叩かれ、浅瀬に座礁してしまった。政府からは外出禁止令が出されているほどの事態になっていた。
NOAAの画像を見ると台風の脇にいた2つの雨雲の塊は既に合体していた。まさに「パーフェクトストーム」であった。
事態はいよいよ悪くなり12時頃には風がピークに達したかと思われた。ところが12時15分になると風がピタリと止んでしまった。外に出ると全くの無風状態で太陽が出てキラキラ陽が射していた。
他のスタッフたちも建物から出て来て、もう台風は行ってしまったんだと笑顔で談笑している。しかしどうみても台風の去り方がおかしい。こんなに突然ピタリと風が止まったことなど私の今までの経験上なかったからである。そうするとこの現象は一体何なんだ。あっと思った私は外に出ていたスタッフ全員に「すぐに小屋に戻れ!これは、台風の目だ、もっとデカい風が吹くぞー!」と叫んだ。その直後とんでもない大風が吹き荒れダイブショップの窓が割れ、スタッフ小屋の壁が吹き飛び、外では大きな木がなぎ倒されていった。
1時30分風のピークが過ぎた頃、ようやくビッグボートが戻ってきた。
レントンたちは憔悴しきっていて声が良く出なかった。私が「スモールボートは何故戻らないんだ?」と聞くと、「エッテン島までは一緒だったが、そのあと見えなくなった。我々は直接進むのは無理だと判断して一旦冬島の影に逃げ込んだけど、スモールボートはついて来なかった」と震えながら話していた。「スモールボートのジョンキ達はエッテンからそのままジープに向かったんだな?」と聞き返すと首を縦にふるだけだった。
レントンたちは一番の風のピークを冬島の影で耐え、風が多少弱まったのを見てジープ島を目指したが大風は止まず、島に近づくのが危険だと判断してジープのすぐ隣のウンヌ島の風下に避難していたらしい。
風がピークを過ぎてジープ島がはっきり見えた時の様子を「ウンヌからジープ島がはっきり見えた。すべての椰子は倒れてはいなかったし、小屋は2つとも無事だった」と伝えてくれた。
私は多少安心したが「ゲストとスタッフはみんな無事なのだろうか」と気が気ではない。しかし時計を見ると既に16時をまわっていて今日はもう手も足も出ない。
結局その日スモールボートは戻らなかった。
30日(月)、我々は、朝5時に起き、ダイブショップに集合した。アッピンはうなだれていた。昨日スモールボートの3人が戻らなかったことへのショックでほんとど寝ていない様子だった。私もジープ島のゲストとスタッフのことが心配で一睡もしていない。GMのナワンに指示して、ジープ島にゲスト用のボート1艘とスモールボートの3人の捜索に3艘のボートを出すことになった。
疲れている様子のアッピンに「少し寝てきたらどうだ?」と話しかけると「俺は大丈夫だ、ただ今朝気になるものを見た、今まで見た事のない白い鳥が2羽木の上から俺をじっと見てるんだ。もしかしたらステンションと息子のエリプソンじゃないかと思って、気が滅入ったよ」私は、「お前は寝不足だから一度寝た方がいい。鳥は吉鳥を意味する時もあるんだ。今は悪いほうに考えない方がいい」と言い聞かせた。
時計は午前9時をまわろうとしていた。憔悴しきったアッピンは、その間様々な事を考えているようだった。戻らなかった3人は、すべて彼のスタッフであり親戚でもある。もし亡くなったりしたら彼の悲しみは計り知れない。
私も大切なゲストとスタッフの安否が知れない限り落ち着かない。一人焦燥にかられながら無線を待っていると、ショップの外でダイビングガイドのギャランが私に手招きをしている。「外で何やってんだ?」と聞くと、「アッピンには言えないから、どうしたら良いか考えていたんだ。実は今朝イッテンの息子が家にやってきて、昨日から親父と母親が家に戻っていないというんだ」「それだけじゃなく、ハンセンもオブライエンも戻ってないと言っているんだ」「ジョンキ達が戻ってないから、俺には言えなかったんだよ」
私もよく知っている4人もの人達が戻ってきていないことが分かり私は愕然とした。「4人は同じボートだったのか?」と聞くとギャランは「最初はホテルから5人で乗ったんだ。そして1人を夏島で降ろしてから、男4人で酒を飲み始めたんだ。1時間後に酔っぱらってボートで家に帰ることになって・・・・・おそらく出た所を高波にのまれたんだと思う」
私は、思わず「バカ野郎!」と叫び「こんな時になにやってんだ!」と怒鳴ってギャランには外で待機するように指示し、一人椅子に座って考え込んだ。
とにかく、一つ一つやるしかない。これで行方不明は7人ということになる。ジープ島のボートを待って、スモールボートを探しに行ったスタッフからの無線を待つしかない。
10時頃、やっとのことでジープ島からのボートが戻って来た。急いで船の近くまで走っていくと4人のゲストがニコニコ笑ってる様子が伺えた。あまりの恐怖でホテルに戻れたのがよほど嬉しかったのかなと思い、ボートから降りて来るゲスト達に「大丈夫でしたか?怪我はないですか?」と話しかけたら楽しそうな顔をしながら「本当に楽しかったです。こんな経験滅多に出来ないですよね」「一晩中みんなでお酒を飲んでいたんですよ。あー面白かった!」
私は全身から力が抜けていくのを感じた。
時間は10時過ぎだった。それからも無線連絡はなくジリジリとした時間だけが過ぎていった。
午前11時、疲れて椅子に座りながらウトウトしかけた時である。搜索に出かけたナワンからの無線が入った。「ステンション、エリプソン、ジョンキは全員無事でフェリット島にて発見!」という内容だった。私はすぐにアッピンの家に走り、「見つかったぞー。3人は無事だ!」と伝えた。
アッピンは涙を流しながら喜んで私を強く抱きしめた。二人で固い握手を交わしながら「やはり今朝の鳥は良い鳥だったんだよ」「きっとキミオさんが送ってくれたんだよ」と言いながら喜び合った。30分ほどして帰ってきたボートに乗っている3人を見て一同ホッとした。一人一人を「よくぞ生きていてくれた!」と言いながら抱きしめた。子供を抱きながら彼らの奥さんたちも泣いていた。
3人をショップに呼んで報告を聞いた。彼ら3人のスモールボートは悪天候の大波の中直接ジープ島を目指し、島の目前で波に飲まれたとの事であった。その際、エンジンがガソリンに引火っして爆発したらしく、みんな顔に少しやけどの跡が残っていた。海に投げだされて、火の中を海中に潜りながら船から離れ、ガソリンをいれておく赤いポリ容器につかまって、北東へと流されながら泳いだそうである。そして北東の水路の手前のフェリット島に辿り着いたとの事であった。赤いポリ容器はたいへん小さいものなのだが、3人でつかまり1人が順番にひたすら泳ぎ続けたらしい。
3艘の捜索艇がすべて戻った段階であとの4人の捜索に出かけようという話をしている最中突然「津波が来る」と政府から連絡が入った。「パプアニューギニアで大きな地震があったそうだ。ここにも津波が来ると言っている。チュークへの到着時間は1時15分。みんなで山に逃げるしかない!」時計は既に12時50分、あと25分しかなかった。
しかし昨日の台風で道路は寸断され山へ行くことは不可能だった。私たちはなるべく高い建物の上で祈るようにその瞬間を待つしか術がなかった。幸いなことに津波はトラック環礁に到達することはなく1時35分に津波警報は解除となり、私たちはすぐに食料をボートに積ませ、3艘のボートを4人の捜索の為に出した。
しかし、その日も4人は戻らなかった。残された家族たちは不安そうに私を見たり、海を見たりするしか術がない。
3月31日(火)、私は朝5時に起床してダイブショップに行き、今度はボートを4艘に増やしてトラック環礁で最も遠い場所を探すように指示をした。
トラック環礁の北の際まで捜索する事にして4艘のボートは出て行った。
私はダイブショップでひたすら無線を待っていた。既に3日間の台風と津波の騒ぎで心も体も疲れ果てていた。神に祈るしか術がなかった。「信じるしかない」と自分に何度も言い聞かせた。
午前11時、神への祈りが通じる瞬間がやってきた。北西にある無人島「ルオ島」で4人の無事が確認されたのだ!流されてから、3日後の事であった。南の島では陸地にさえたどり着けばヤシの実も貝も魚も手に入ることが幸いしてみな元気に帰ってきた。
その日の夜、私は食事もせずに死んだように眠った。
そして夢の中で日本から送られてきた映画を呪った。
前夜に観た映画がそのまま現実になるとは思わなかった、これからはもっと楽しい映画を見たいものだと思いながら。

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