ある日、日本の知り合いから大量の衣類が届いたので、州知事の奥さんに通訳を頼み夏島の家々を回ったことがある。
風がない凪の暑い日で、大きなリュックを背負って大汗をかきながら歩き回った。マングローブの生い茂る海岸線の家々を回り、やがて丘の上のマンゴーの木で一休みとなった。
南をよく知らない人が南をイメージする光景として、「のんびり椰子の木陰で一休み」と思う人が多いと思うのだがこれはとんでもない話である。
椰子の実というのは至る所に落ちていて、海水に強い為どんな場所でも片側から芽が出て、もう片方から根が出てどんどん成長していく。つまり島の至る所が椰子の木だらけという事になる。しっかり管理されたホテルの敷地内では、スタッフが日頃椰子のてっぺんを見つめて、そろそろ実が落ちそうだと判断してカットしてしまうわけだが、夏島辺りで繁殖している椰子の実はほとんどカットされてない。従って「のんびり椰子の木陰で一休み」なんて事をしていたらひとたまりもないわけで、見事に頭に直撃したら命を落としかねない事になる。
通常、島民たちが日陰で休む木は、マンゴーの木の下が多いように思う。
私たちはマンゴーの木の下で一休みして、気を取り直してまた大きなリュックを背負い丘の上の家々を回り始めた。
数軒回った頃だろうか。広い芝生の中に小さな平屋建ての家が見え、外で女性が洗濯物を干している家に辿り着いた。
私と州知事の奥さんは、ララン二ム!(こんにちは)と声をかけ、芝生の中に入って行った。するとその女性はニコニコ振り向きながらララン二ム!と返してきて、3人で芝生の上に座りながら話をした。子供が多くいつも衣類が足りないという事になり、残っていた衣類を全部その女性にあげる事にした。
女性は、私と州知事の奥さんに何度も何度も「キニッショー!」(ありがとう!)と言い、本当に嬉しそうにしていた。
日本の古着でも、本当に喜んで貰ってくれるこの土地は、やはり良い土地だなぁーなんてことを考えながら、その女性に「お子さんは何人くらいいるんですか?」と尋ねたら「十二人!」と返事が返ってきた。エッ!十二人も?」と驚きながら、その女性の年から察するとほぼ毎年産んでいる事になる。驚きの中で、私はやはり毎日パンの実やタロイモや新鮮な魚ばかりを食べていると力が付くんじゃないかと考えたりしたくなった。なーるほど。
そして、次に「あなたの名前は何というんですか?」と尋ねたら、いきなり「KINTA」と返って来た。エッ!確か日本では男にしか付けない名前なんだがと思いつつ「たいへん力強い名前ですね?」と一言いって退散する事にした。どうもトラック諸島には、名前において間違えているのか或は意図的に付けているのか、男なのか女なのか、全くけじめがつかない名前が多いような気がする。
私が聞いた名前だけでもキムチ、ブルースリー、サントリー、ちくわ、一点、ケツ子、金魚、お化けなどなど妙な名前ばかりである。
この命名における極めつけの話には、こんなのがある。ある雨の午後、ダイブショップの前で一人の老人とその孫が雨宿りしていた。その日私はジープ島でパーティーを行う為、いろいろな食料や飲み物をボートに運び込んでいたのだが、ボートに乗り込んで振り返ったらその老人と孫が眼に止まった。どうも気になったので、「そこで誰かを待っているんですか?」と聞いてみた。すると老人が「冬島からボートを来るのを待っているんだが、中々来ないんだよ。もう2時間近く待っているんだがねー」と答えた。
その老人の年は80歳くらいに見え、長時間立っているのも辛いだろうと思ったので「私はこれからジープ島の行くのですが先に冬島で降ろしますから乗ってください」と伝えた。
老人と孫が乗り込んで、ボートは夏島と秋島の間を抜け、やがて冬島が見え始めた地点で「冬島の家はどちら側ですか?」と聞くと西側だと言われたので「じゃぁ沈船の山鬼山丸のある方向ですね?」と尋ねたら、「あの船の正面の家だよ」と返って来た。
その間、シャイな孫は何も喋らず、お爺さんは、たまに私の顔を見てはニコニコしていた。やがてボートは山鬼山丸のブイが見えた地点で左方向に向きを変え、しばらくして冬島の海岸線にある老人の家に到着した。どうやら、途中でボートのエンジンが壊れ迎えに行けなかったようであった。
老人は喜んで「本当に今日は助かったよ。あんたのおかげだよ。」といいその後、日本語で「ありがとう!ありがとう!」と何度も言うものだから「人助けも悪くないものだなぁー」とにんまりしながら握手を交わした。ボートが岸から離れていく様子を見ながら老人が手を振っていたので「ところでお爺さんあなたの名前は何というんですか?」と聞いたら、両手を口に当てながら大声で「AKACHANと言いまーす」と返ってきた。
私は聞き違いだと思い「すいませんもう一度お願いします」と言ったら、また「あかちゃんでーす!」と返されてしまった。
「あかちゃん、また会いましょう!」と手を振ってジープ島を目指したが、その道中私の首は傾いたままだった。
もうちょっと真剣に名前を考えましょうや。確かに可愛らしい名前ではあるけど、80歳で赤ちゃんとはねー。
たしかに手を振っている笑顔は可愛らしかったが・・・・・・実に変った土地である。
風がない凪の暑い日で、大きなリュックを背負って大汗をかきながら歩き回った。マングローブの生い茂る海岸線の家々を回り、やがて丘の上のマンゴーの木で一休みとなった。
南をよく知らない人が南をイメージする光景として、「のんびり椰子の木陰で一休み」と思う人が多いと思うのだがこれはとんでもない話である。
椰子の実というのは至る所に落ちていて、海水に強い為どんな場所でも片側から芽が出て、もう片方から根が出てどんどん成長していく。つまり島の至る所が椰子の木だらけという事になる。しっかり管理されたホテルの敷地内では、スタッフが日頃椰子のてっぺんを見つめて、そろそろ実が落ちそうだと判断してカットしてしまうわけだが、夏島辺りで繁殖している椰子の実はほとんどカットされてない。従って「のんびり椰子の木陰で一休み」なんて事をしていたらひとたまりもないわけで、見事に頭に直撃したら命を落としかねない事になる。
通常、島民たちが日陰で休む木は、マンゴーの木の下が多いように思う。
私たちはマンゴーの木の下で一休みして、気を取り直してまた大きなリュックを背負い丘の上の家々を回り始めた。
数軒回った頃だろうか。広い芝生の中に小さな平屋建ての家が見え、外で女性が洗濯物を干している家に辿り着いた。
私と州知事の奥さんは、ララン二ム!(こんにちは)と声をかけ、芝生の中に入って行った。するとその女性はニコニコ振り向きながらララン二ム!と返してきて、3人で芝生の上に座りながら話をした。子供が多くいつも衣類が足りないという事になり、残っていた衣類を全部その女性にあげる事にした。
女性は、私と州知事の奥さんに何度も何度も「キニッショー!」(ありがとう!)と言い、本当に嬉しそうにしていた。
日本の古着でも、本当に喜んで貰ってくれるこの土地は、やはり良い土地だなぁーなんてことを考えながら、その女性に「お子さんは何人くらいいるんですか?」と尋ねたら「十二人!」と返事が返ってきた。エッ!十二人も?」と驚きながら、その女性の年から察するとほぼ毎年産んでいる事になる。驚きの中で、私はやはり毎日パンの実やタロイモや新鮮な魚ばかりを食べていると力が付くんじゃないかと考えたりしたくなった。なーるほど。
そして、次に「あなたの名前は何というんですか?」と尋ねたら、いきなり「KINTA」と返って来た。エッ!確か日本では男にしか付けない名前なんだがと思いつつ「たいへん力強い名前ですね?」と一言いって退散する事にした。どうもトラック諸島には、名前において間違えているのか或は意図的に付けているのか、男なのか女なのか、全くけじめがつかない名前が多いような気がする。
私が聞いた名前だけでもキムチ、ブルースリー、サントリー、ちくわ、一点、ケツ子、金魚、お化けなどなど妙な名前ばかりである。
この命名における極めつけの話には、こんなのがある。ある雨の午後、ダイブショップの前で一人の老人とその孫が雨宿りしていた。その日私はジープ島でパーティーを行う為、いろいろな食料や飲み物をボートに運び込んでいたのだが、ボートに乗り込んで振り返ったらその老人と孫が眼に止まった。どうも気になったので、「そこで誰かを待っているんですか?」と聞いてみた。すると老人が「冬島からボートを来るのを待っているんだが、中々来ないんだよ。もう2時間近く待っているんだがねー」と答えた。
その老人の年は80歳くらいに見え、長時間立っているのも辛いだろうと思ったので「私はこれからジープ島の行くのですが先に冬島で降ろしますから乗ってください」と伝えた。
老人と孫が乗り込んで、ボートは夏島と秋島の間を抜け、やがて冬島が見え始めた地点で「冬島の家はどちら側ですか?」と聞くと西側だと言われたので「じゃぁ沈船の山鬼山丸のある方向ですね?」と尋ねたら、「あの船の正面の家だよ」と返って来た。
その間、シャイな孫は何も喋らず、お爺さんは、たまに私の顔を見てはニコニコしていた。やがてボートは山鬼山丸のブイが見えた地点で左方向に向きを変え、しばらくして冬島の海岸線にある老人の家に到着した。どうやら、途中でボートのエンジンが壊れ迎えに行けなかったようであった。
老人は喜んで「本当に今日は助かったよ。あんたのおかげだよ。」といいその後、日本語で「ありがとう!ありがとう!」と何度も言うものだから「人助けも悪くないものだなぁー」とにんまりしながら握手を交わした。ボートが岸から離れていく様子を見ながら老人が手を振っていたので「ところでお爺さんあなたの名前は何というんですか?」と聞いたら、両手を口に当てながら大声で「AKACHANと言いまーす」と返ってきた。
私は聞き違いだと思い「すいませんもう一度お願いします」と言ったら、また「あかちゃんでーす!」と返されてしまった。
「あかちゃん、また会いましょう!」と手を振ってジープ島を目指したが、その道中私の首は傾いたままだった。
もうちょっと真剣に名前を考えましょうや。確かに可愛らしい名前ではあるけど、80歳で赤ちゃんとはねー。
たしかに手を振っている笑顔は可愛らしかったが・・・・・・実に変った土地である。